No. 10 April, 2005


明石の釘煮


recepi:TAKEAN

 

 


春のほんの短い期間だけ獲ることができる“イカナゴ”というちいさなさかな。これで作る佃煮風保存食「イカナゴの釘煮」は関西の人々、とりわけ”釘煮メッカ”の明石の人々にとっては、それぞれが一家言あるこだわりの料理。ここにご紹介するTAKESANオリジナルレシピにも、背景には「僕とイカナゴの釘煮」物語があるのでした・・・。
 

 

材料:(イカナゴ2kgの場合)

 1.イカナゴ  
 2.濃口醤油
 3.薄口醤油
 4.本味醂
 5.きざら
 6.土しょうが 
 7.胡桃
 8.ライム

2kg
320g(実質容量より少なめです)
140g(実質容量より少なめです)
40g(実質容量より少なめです)
500g
100g
100g
1/2個

 1.イカナゴ
  煮る前にザルにあけて洗って水を切っておく
 6.土しょうが
  みじん切りor千切り
 7.胡桃
  5mm角程度の大きさにさいの目
 8.ライム
  1/2の皮をよく洗ってみじん切り


作り方

 2:濃口醤油320g
 3: 薄口醤油140g
 4:本味醂40g
 5:きざら500g

  を鍋に入れ加熱
  きざらが溶けるようにまず中火。
 

溶けたら強火で一煮立ち

煮立った所に(1:イカナゴ)を3回程に分けていれ
その都度上から上記の
 6:土しょうが
 7:胡桃
 8:ライム、果汁も3度程に分けて絞り入れる
を同量入れ

煮立つまでアルミホイルで落とし蓋。

 すべての材料を入れ終わったら、落とし蓋をして煮立てる。
 


煮汁の泡立ちや煮詰まる音がしてきたら、落し蓋を取って鍋返しをする。


しばらく煮詰めて再度鍋返しをして、残っている煮汁が極少になったら火を止めて半切りにあけ、団扇で醒ます。 

※煮詰まったときの火を止めるタイミングが結構シビアです。
煮汁の量や粘度と煮詰まる時の鍋の中の音、、、、、(+_+;      

 
 

  

 

<僕とイカナゴの釘煮>

「仮設の皆さんにイカナゴの釘煮を楽しんで貰ったらどうやろ?」
「神戸の春は、イカナゴの釘煮の調理から始まるしなあ、、。」
「皆さんにも手伝ってもらって、、、。」
「そうやなあ、、一緒に春を調理するというのはええなあ。」
「みんな喜んでくれるで〜!元気になってくれると思うよ!」
阪神淡路大震災で被災し、仮設住宅に避難している神戸本庄地区の皆さんに、イカナゴの釘煮という地元ならでは料理で、春の訪れを感じて貰おうという企画が、当時神戸の被災者支援活動をしていた料理フォーラム有志の中から持ち上がりました。

 

 

毎年3月の声を聞くと地元の阪神近郊では、瀬戸内近海で水揚げされる「イカナゴの新子」を醤油とザラメ砂糖を使って、飴煮で調理する「イカナゴの釘煮」の香りが街中に拡がります。
「イカナゴ」は瀬戸内近海で毎年3月始めから水揚げされる小魚で、「新子」は体長4cmから5cmの「イカナゴ」の幼魚の事です。
この「新子」は水揚げされてからほぼ半日程度で新鮮度が失われる本当に弱い魚ですので、頂く方法も漁当日に限られてしまいます。


<明石の市場“魚の棚”>

「イカナゴの釘煮」はそんな新鮮な「新子」を漁当日以降も頂ける調理方法として昔から水揚げされる地元で楽しまれており、春先のこの季節ならではの風物詩にもなっています。
調理方法もそう複雑では無く、今でこそ地元以外の多くの方が釘煮調理を楽しまれる様になった事もあり、幾分か高めの価格になっていますが、当初は新子そのものの価格も安価で、阪神間では多くの家庭で調理され続けてきました。
明石で生まれ明石で育ち、今も明石の際に住まいがある僕にとって釘煮は特に珍しいものでは無く、毎年「もうこんな季節か、、」とぼんやり自宅で調理された釘煮と接してきただけの様に思います。

 

 

その僕が震災後10年に渡って、この時期に釘煮を作り続けてきた背景には、料理フォーラムを通じて震災支援に参加した事、中でも本庄仮設に避難されていた皆さんとの出会いがあります。(→料理フォーラム被災地応援プロジェクト
永年住み慣れた住まいや地域社会を一瞬に失ってしまった皆さんが心底望んでいる事は、以前の生活を取り戻したいという一念です。仮設住宅で寒い冬をようやく凌いだ皆さんにとって、春の日差しをふと感じても、以前と違う環境下ではうつろな心のままで、眩しい春の訪れを受け容れる余裕もなかった様に思います。

 

 


 

どうしたら仮設住宅の皆さんに、春の訪れを感じてもらえるのか。
その問いかけが、震災以前にご自宅でこの時期に調理をしていた「イカナゴの釘煮」という、実は珍しくも無い郷土料理を一緒に調理したらどうか、以前の生活を想い出して楽しんで貰えるかも知れないと、いう発案に繋がりました。

「あ、春が来たんやねえ、。」
「出してくる春の服も無くなってしもたけど、釘煮を作る醤油の 匂いが無いと春来た気がせんもんねえ、、。」

仮設住宅が立ち並ぶ市民野球場敷地の端にあった狭いダグアウトの一角で、想いを込めた釘煮調理は始まりました。
案の定、漂う醤油の薫りにあちこちからオバちゃんが出てきます。

「やあ、にいちゃん、懐かしいわあ〜。この匂い!」
「さあ、手伝ってちょーだい!釘煮25kgも煮ますねん。」
「にーちゃん、私とこは山椒入れるんやで、。」
「そうそう、山椒だけやのうて、松の実入れても美味しいで!」
「あ、あかんがな!、そんな纏めて入れてしもたら!」
「え、え?」汗汗
「もう、わて(私)が作ってきたる!1kg程持って帰るわ!」

それはもう賑やかな事で、鍋の周りは大騒ぎ!
ふと気が付くとオバちゃん達の顔がみんな輝いています。
笑っている顔、たしなめている顔、真剣に味見をしている顔、、。
すでにこの時点で仮設住宅での釘煮の実践は成功だったのです。
喜ぶ反面、あまりに元気なオバちゃんの苦言にムっとしている自分にも気が付き、思わず苦笑してしまいました。

 

 

オバちゃんからrecipe自体にも疑問の意見がありました。

「醤油とザラメの入れ方が違う。」
「生姜の切り方が違う。」
「新子を水で洗ったらダメ?」

考えてみるとその意見ひとつひとつに好みの根拠がありました。
その後は釘煮を見る度に、どんな調理方法をしているのか興味が湧きます。
従来我が家では山椒を入れて調理をしていましたが、子供達には不人気で、今は山椒を入れないrecipeが続いています。
仲間のだめおさんからの情報で胡桃が合うらしいと聞き、疑問を感じながらも試しに入れてみるとこれが予想に反して相性が良く、以来胡桃が定番となりました。
アーモンドを入れた事もあって、それはそれなりに頂けましたが、胡桃には敵いません。
この他、オレンジピールを細かく切って加えてみた事もあります。
これは固めの釘煮の食感とマッチせず不評だったので止めました。

 

 

レモンの皮を入れているお隣の釘煮を頂いて、これはイケル!と取り入れましたが、頂く内にレモンの味が強すぎる様に感じて好みだったライムを使った処、爽やかな風味を得られたのです。
以後はこのライムも僕の釘煮の定番になりました。

 

気が付けば本庄仮設住宅の釘煮調理以降10年が経っています。
当初濃口醤油とザラメ砂糖だけで飴を作っていましたが、釘煮の色合いが濃くなり過ぎ、見た目に濃い味に映りましたので、今は薄口醤油と合わせるrecipeに変えています。

 


FCOOKが最初に震災支援を始めたのは、神戸市東灘区の森南地区の公園に自然発生した避難テント村でした。
そのテント村に避難されていた皆さんのお世話をされていたのが村長さんとも言える森温泉の立花さんで、FCOOKは立花さんを通じて支援を続けてきた経緯があります。

(←FCOOK有志によるイベント風景)

 

以来お付き合いが続いていて、今はそのお付き合いも息子さんに引き継がれ、この季節にはやはり多少の釘煮をお渡ししています。
立花さんの奥さんはあの震災後、ご近所の老人ホームのお年寄りに昼食サービスのお世話を続けて来られ、今回お渡しした釘煮をお年寄りの皆さんに配って頂けました。
去年10月末に大きな水害被害にあった兵庫県豊岡市の支援活動はお知らせの通りですが、避難場所だった三江公民館の支援機能が終わった後も館長さんやご担当の方と連絡を取り合っています。
やはり神戸の仮設住宅でのお年寄りの寂しそうな姿が頭を離れず、三江公民館から民間住宅へ移った仮住まいのお年寄りの皆さんの様子を教えて頂いていました。

 

先日の釘煮OFFの際に作った釘煮パックをお送りしたところ、お世話になった公民館館長さんが、わざわざ仮住まいのお年寄りの方々のお住まいを廻って、釘煮を配ってくれました。
新潟を襲った大きな地震による被災者の方々にも料理フォーラム仲間のナンコウさんを通じて、山古志村から長岡に避難しているFSKY仲間に届けられました。
明石からの一足早い春の便りに、雪深い新潟では戸惑いもあった様に思いますが、季節の頼りに乗せて遠く離れた仲間の思いやりも届いていると信じます。

 

毎年、3月の中旬、、、、
料理仲間が明石に集まり、釘煮を調理するのは勿論、めばるを煮付けたり、旬の魚を使った握り寿司を調理しています。
気の合った料理仲間とのミニOFFは何よりの楽しみです。
震災前、単なる季節の魚料理と漫然と食べていた釘煮を通じて、春の訪れを待つ心の大切さを知り、これ程多くの仲間と知り合え、見ず知らずの多くの方々との災難を乗り越えた出会いがあるとは
かっての僕には想像もできませんでした。
5年前から、仕事の都合で僕の勤務地が兵庫県中央部の丹波市になり、明石の自宅には一週間ごとの帰宅となっています。
当地に赴任した明くる年からこの季節には、勤務している職場の全スタッフに少量づつのパックで釘煮をプレゼントしています。
これまで毎年4kg程度の釘煮調理が10kgを超える量を調理する羽目になってしましましたが、皆さんに好評でrecipeまで要望され、仕事上の関係だけでは得られない意思の疎通さえ計れる様になりました。
ここ数年は3月も近くなると、沢山のスタッフから心なしか熱い視線を感じるようになっています。
今では仕出屋の大将、飲み屋のママ、商工会の担当者、下請けの社長さんにまで釘煮パックが拡がってしまい、若干後悔が無くは無いものの、季節感を共有する事が出来、海の幸と山の幸の話題で盛り上がれば結構な事と納得するようにしています。
・・・・・・・
今年も喧騒の3月は過ぎましたが、僕の心の中は来年の釘煮調理の準備がすでに始まっています。

(TAKESAN)




 

こちらのページでも、釘煮を紹介しています→春を呼ぶ“明石の釘煮”オフ