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炊き出し日記
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「第10回ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭」
料理:山形名物・玉こん 2.19.1999(炊き出し1日目) 玉こんの量(340個)と鍋の容量、調味料の量が全てぴったり。 でも、パクリと食べると中はまだ白いこんにゃく色で、私としてはこのへんがベストの仕上がりかと思いましたが、翌日残っていた数本の煮しまった玉こんを食べたFHOKUTOのSYSOPは、前日出来立てを食べたのと比べて、「このくらいまで煮絞まった方が美味しい」と言ってました。 一晩たった玉こんは、中まで醤油色に染まり、真ん丸だった玉こんが、私が家で試作した時のように水分が出てしまって、ちょっと梅干し状態です。 でも、このくらいまで煮絞まった方がおいしいと感じるのは味覚の違いかとも思いましたが、これを食べた鉄っちゃんも、前日の出来立てとは比べていないものの「とっても美味しい」と感じたようなので、玉こんというのはこの位強い醤油味で煮しめた方が美味しいのかもしれません。 水5リットル、醤油900cc+200cc+100ccで結局1200cc。 この量で煮込んで一晩置いておくと丁度いい味付けになるということは、もっと醤油を大胆に使っても大丈夫だということなのでしょう。 やはり、(玉こんのアイディアを教えてくださった)もろみーさんの指摘が正しかったのだと思います。 それにしてもスルメ10枚というのは物凄い量でした。
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(今回作業を行った)「みんなの家」が、元北海道銀行の支店だったので、銀行だけに表にショーウインドウがあります。ここに模造紙を張り合わせて四日間の料理が紹介されていましたが、「これって何?」と一番みんながわからなかったのが「玉こん」だったそうです。「玉こんってなんだ?」とヒソヒソ、あらぬ想像などしていたとか...。
一串に4つずつ刺した玉こんを逆さまに鍋に立ててほぼ鍋に一杯、調味料にこんにゃくが肩までつかって、いい「風呂加減」となりました。色もかなりしっかり醤油色。
酒300cc、味醂150cc、砂糖100g。
玉こん340個。スルメ10枚。昆布3本。
大鍋一杯に作る料理を、玉こん一袋というサイズにスケールダウンさせてしまっては同じ結果は得られないのは当然だったのかもしれません。(少量作るときは加減が必要か)
でも、私たちがホテルに引き上げた後にもかなりみんなで鍋をつついていたらしく、翌日はほんの数本の玉こんを残すのみで、スルメは殆ど残っていませんでした。夜を徹しての酒盛りのいいアテになったのでしょう。
料理:水餃子 2.20.1999(炊き出し2日目) この日は、午後3時から「みんなの家」でのプログラムが目白押しなので人も集まるかもしれないということで、急遽仕込み量を増やしました。 具がたくさん余ってしまったので急遽薄力粉を買い足して、焼き餃子用に1キロ新たに皮を作りました。(夕張市内では強力粉は売っていないのです...) 白菜の大株3つ分のみじん切りは大変な作業でした。 ニフティの若手二人組:モーリンとおぎちゃん、それに生地作りを終わった鉄っちゃん(北海道在住FCOOKer)と私、そして書き込みもしてくださったGO-KURO(北海道在住FCOOKer)さんも入ってくれて5人でひたすら刻み続けましたが、モーリンは指に血豆ができてしまったほどでした。 しかし皮作りは楽しかった! おぎちゃんは飲み込みが早く、鉄っちゃんに一度見本を見せてもらっただけで、縁は薄く、中央に厚みのある皮を綺麗に作ってしまいました。右手で麺棒を上下に転がし、左手で皮を回転させながらの作業はまるでマシンと化してしまったかのようです。 午前11時頃から作業を始めて、皮に包み始めたのが午後2時頃。 ところが誤算はその後にやってきました...。 提供する時間はどんどん伸び、階下の強烈な暖房が全部二階に上がってきて、雪が降りしきる氷点下の天気だったにもかかわらず窓を開け放って丁度という熱い室内に長時間放置されることになってしまった餃子は、打ち粉を十分しておいたつもりでもしっかりくっつき始めていたのでした...。 カメラマニアのニフティの社長が、ずらりと並んだ400個以上の餃子の前で我々の記念撮影などしてくれて、さぁて出来上がりが楽しみと満を持してスタンバイしていたのですが...。 午後8時。 いざ提供する段になって、餃子が台にくっついて離れない、くっついて並べた餃子は離れなくなっているという状況に焦りまくってしまいました。 それでも、無傷なものから焼き、茹でて、片っ端から食べてもらい、その時会場にいた人には全部行き渡ったのですが、そして食べた人達はみな美味しいと言ってくれていたようなのですが、悔いが残りました...。「これがFCOOKerの餃子かと思われちゃたまらない」と。その思いは鉄っちゃんが一番強かったと思います。 傷の深くなってしまったものはフライパンの上に並べて手の平で押しつぶし、お好み焼き状態にして両面こんがり焼き、仕上げに醤油を回しかけて、包丁で切って出しました。これはこれで結構売れてましたが、悔いが残った分、疲れもドッと感じてしまいました...。 翌日、鉄っちゃんと話したことは、餃子は出来た端からどんどん茹でていって、提供する直前にもう一度温めるようにしておけばよかったということでした。
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4回の料理の中でこれが一番悪戦苦闘しました...。
水餃子用に作った皮は、強力粉1キロ、薄力粉2キロ。
具は、白菜の大株3つ、ニラ5束、豚ひき肉1.5キロ。
皮を延ばしつつ全て包み終わったのが午後5時くらい。
ひと足先に、出来立てを焼いて試食した時の美味しさは飛び切りでした。
プリプリむっちりした皮は、さすが手作り!と苦労も吹き飛ぶ美味しさでした。
料理:韓国雑煮トック 2.21.1999(炊き出し3日目) 水10リットルに鶏ガラ4羽分、昆布5本、それに臭み消しとして長ねぎと生姜。 アクを丁寧にひいて、一度湯引きしておいた鶏肉2キロ分を加え、醤油400cc、みりん200cc、塩小さじ4で味付けをしました。私にはこれで十分と思われたのですが、それまでの二日間の経験で、地元の人の味覚に合わなければという思いもしていたので、「みんなの家」のスタッフをしている女性二人にも味見をお願いしました。やはり、もう少し味は濃い方がいいという感想です。 そこで更に味醂50cc、醤油100ccを加えたところ、ちょうどいいとのこと。 モーリン&おぎちゃんペアが卵30個分の錦糸卵作りを一手に引き受けてくれ、大きなボールに山盛りの見事に美しい錦糸卵も出来上がりました。(モーリンは以前、クレープ作りにはまっていたというキャリアの持ち主で、それはそれは綺麗な薄焼き卵を焼き上げ、若い独身男性のおぎちゃんは、これまた結構な包丁さばきで見事な錦糸に刻んでいってくれたのでした)。 三つ葉も刻み、キムチも大皿に山盛り積み上げ、後はそれぞれを盛りあわせればいいばかりにしておきました。 この時点で作った4人分の雑煮は、それはそれは美味しくできあがりました。 試食してもらった地元の人たちはみんな、美味しい美味しいとハフハフ食べてくれたのでした。 ここで一旦火から下ろして、後は提供する時にまた温めればいいばかりにしておいたのですが、ここでも誤算がありました。 これだけの大鍋だと、火から下ろして冷めていく間に蒸発する量は相当なものになっていたのです。つまり、火から下ろした後に蒸発によって煮詰まることを計算に入れていなかったのです。(この大鍋に合う蓋はありませんでした) 私と鉄っちゃんは一旦台所を離れて、「みんなの家」で行われていた「悪魔のドクドクモンスター」のロイド・カウフマン監督を囲んでのトークショーを見物していたのですが、最後の記念撮影の段になって突然台所から韓国雑煮が出てきました。 監督は、日本語で「オイシーデス」と言っていたけれど、司会者に、どんな風に美味しいかと重ねて尋ねられて、一瞬言葉に詰まった後に一言「ソルティ」と。 ヘンだなと思って台所に駆けつけてみると、急に出すように言われて急いで温めて作ったけれど、「これ松尾さんの味付けですか?私もちょっと塩辛いと思いますけど...」とモーリン。 「うん、地元の人に味見してもらって更にちょっと濃いめの味付けにしたけど」ともう一度味見してみると、さっきよりずっとかなり味が濃くなっていたのです。 当初提供する予定の時間より1時間半近くも延びてしまったということもあり、冷めていく間と、更に温め直しの間の蒸発分がこんなに味を濃くしてしまうとは。 出来立てがあんなに美味しかっただけに残念でなりませんでした。 この日の反省は、あの鶏ガラと鶏肉の量なら出汁は倍量の水で仕込んでも大丈夫だっただろうということ。でも、あれ以上の大鍋はなかったし、ガス台に大鍋二つは乗らなかったという制約はありましたが、結果的に出汁はもっとあってもよかった...。 だから結果的にトックだけが半分残ってしまいました。
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これはスープが命だと思ったので、ガラの下茹で含めて丁寧に取りかかりました。
料理:ボルシチ 2.22.1999(炊き出し4日目) というのも、一番大きいアルミの寸胴鍋は、「みんなの家」のスタッフ用に仕込んでいたカレーがずっと占拠していたのですが、四日目にしてようやくカレーを食べ尽くした結果、これを使うことができたのでした。 一口大に切っておいてもらった4キロの牛スネ肉を、潰したニンニクと一緒に一旦焼き、顕著な筋や脂身を掃除してから8リットルの水を足して、セロリの葉先だけを縛ったものをブーケガルニ代わりに入れて煮込んでいきました。 ここに人参(巨大!)5本、大根2本、セロリ(立派!)6本、一旦焼き目をつけたベーコン800gを入れると全体量は相当に増えました。 トマトのホール缶5個を全てザルで濾し、ビーツ3缶の汁だけを加えて、塩とコショーだけで味を整えました。 まさかの時のためにマギーブイヨンも用意していたけれど、味見してくれた人はみんな、これで十分美味しいと言います。確かに本当に美味しいスープです。 ここで別の大鍋にメイクィーン(巨大!)25個を半分に切ったものを入れ、取り分けたスープで煮込み、ウィンナー50本も切れ目を入れて別の大鍋でサッと煮ておきました。 それぞれのスープを一旦元の大鍋に戻し、全体を混ぜた後、更にジャガイモ用とウィンナー用にスープを取りだして浸しておきました。 たまたまお腹を空かせて「みんなの家」に来た夕張ファンタの公式ホームページ作りを担当している二人のスタッフに最初に提供しましたが、大好評! 「去年、ロシアで食べたボルシチよりずっと美味しい」という嬉しい感想までもらっちゃいました。 それにしても100人分はあろうかという大量のボルシチが出来てしまいました。でも、プログラムではこの日が最終日。しかも「みんなの家」でのプログラムは何も用意されていません。そして、外はしんしんと降りしきる雪...。 こんな中をボルシチを食べるためだけに出掛けてくる人がいるとも思えません。 表で客引きしようにも、道を歩いている人など一人もいない...。 そこで急遽、FHOKUTOのSYSOPに大型プリンターで横断幕を作ってもらうことにしました。「みんなの家で、熱々ボルシチが食べられます」と。 この横断幕を、クロージング上映(「エバー・アフター」/あのE.T.のドリュー・バリモアがシンデレラ姫をやってます。気が強くて、力持ち、おまけに封建領主制の矛盾を王子様に向かって批判する理論派のシンデレラという新解釈の物語)が行われていた会場の玄関前に張り出してもらい、上映後には声も掛けてもらうことにして我々は一旦「みんなの家」に戻りました。(だから「エバー・アフター」は途中までしか見ていない...) この日のボルシチのことは、夕張ファンタの公式ホームページのトップでも紹介してくれていたのと、クロージング上映の会場での宣伝もきいたのか三々五々食べにきてくれる人がいて、我々も一気に何十人という人に出す慌ただしさではなく、ちゃんと具も万遍なく入れて、いい状態で提供することができました。 ボルシチは我ながら本当に美味しくできあがりました。 長時間、大量の素材から丁寧にひいたスープの味は、やはり我々の苦労を裏切りませんでした。冷えた外から入ってきて、この一杯のスープを飲んだ人はみんな、本当に美味しいと言ってくれました。恵庭から毎年この映画祭に来ているという女性は「お礼といっても何もないから、これ食べて」とウグイス餅をくれたり、初日に顔見知りになっていた男性は「夕張に来て食べた中ではこのボルシチが一番美味しかったです」とも言ってくれました。 掛けた手間ひまが「美味しい」という言葉で酬われると疲れも軽くなるというのは本当ですね。
(レポート:松尾康子)
四日目にして、ようやく一番の大鍋が空きました。