■料理フォーラム有志と「神戸」のかかわり■

 

 「料理フォーラム」(通称:FCOOK/エフクック)とは、パソコン通信の全国ネットNIFTY SERVE(ニフティサーブ/会員数270万人)内にある700以上のフォーラムの一つです。

 

 「料理フォーラム」(登録会員数:現在約7万人)は1987年4月の発足以来、料理すること、食べることへの関心、そして何よりも「食」を通じてのさまざまなコミニュケーションの魅力によってその活動を支えられてきたフォーラムです。

 

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災の直後、NIFTY SERVE内には急遽「震災フォーラム」が開設され、ライフラインが寸断される中、通信回線を使っての各地の被害状況や安否情報の把握、求められている支援物資やボランティア活動に不可欠なきめ細かな情報を、ほぼリアルタイムに近い形でネットワーカー自身が提供し続けた活動は記憶に新しいところです。その活動は、「情報ボランティア」という新しい言葉も生み出し、非常時におけるパソコン通信というメディアの可能性にも大きな注目が集まりました。

 また、NIFTY SERVE内で広く呼び掛けられた義援金の提供にも、全国のネットワーカーから短期の内に1億2千万円ものカンパが寄せられ、多くのフォーラムにおいても被災地支援のためのさまざまな活動が展開されました。

 

 このような状況の中で、料理フォーラムの「神戸」とのかかわりは、立ち上がりの時期としてはむしろ遅い方でした。

 しかし、料理フォーラムメンバーとして共通の関心である「食」を通してのさまざまな取り組みは、やがて本庄中央仮設住宅の皆さんとの繋がりをもたらしてくれることとなり、FCOOK有志は、折々の季節感ある食事作りに力を合わせ、その食事を仮設の皆さんと一緒に楽しみながら、少しずつ絆を育ててきました。

 そして、これらの活動を支えてきたのが電子会議室上での、全国各地のFCOOK会員とのオンラインコミニュケーションでした。

 企画内容の相談から、役割分担の打合せ、当日メニューの提案やレシピの提供、さまざまな食材や物資の提供、現金のカンパや、ビール券、図書券、お米券などの提供、会場を飾る花の提供などもあり、当日参加できない全国各地のFCOOK会員も含めて、さまざまな「思い」が会議室に書き込まれ、郵便や宅配便をフルに活用して、「思い」を「形」にしてきました。

 

 われわれにできること、してきたことは実にささやかな、全てが「手作り」規模の取り組みですが、「神戸」へのかかわりを通してわれわれが得たことは多く、「食」を介してのコミニュケーションの素晴らしさも改めて実感させられています。

 

 被災地に4度目の夏がきました。

 今回のわれわれのテーマは「変わらず来ました・神戸」です。

 

 約150戸の入居があった本庄中央仮設住宅も、今は約30戸となっています。

 仮設を出られて新たな地で再出発を図られている方々にも、未だ仮設に残っていらっしゃる方々にも、依然厳しい状況はさまざまありますが、夏の一日、全国の料理フォーラム有志の応援に支えられて、今年はFCOOKの会議室で話題になった「にぎり鮨」を中心に手打ち蕎麦や天麩羅、さまざまなお菓子などを楽しんで頂きながら、ささやかでも「あ〜、楽しかったなぁ」と共に思える一日をご一緒したいと思っています。

 

 

■これまでの「神戸」との歩み■

 

●1995年3月/阪神大震災支援「おでん」プロジェクト

 震災の爪痕は未だむごたらしく街を覆っており、倒壊家屋の解体作業の砂塵と、亡くなられた方々に手向けられた花が街のあちこちに痛々しい東灘区元住吉から森南地区、芦屋市津知町にかけて、二日間にわたって自分達の足で実際に被災地を歩き、レトルトパックのおでん2,865食をリュックに詰めて被災者の方々に届けて歩きました。被災地の様子は参加メンバーから詳しく会議室上に報告され、多くのFCOOKメンバーと被災地の状況を共有することにもなりました。この「おでん」は、FCOOK内で募った「おでん基金」へのカンパで購入したもの。

 炊き出しの熱々のおでんではないけれど、炊き出しに並べない人、時には家族だけで、一人だけで、食べたい時に食べられるレトルト食品を敢えて選びました。

 

●1995年7月/神戸東灘区「森温泉」再開お祝いバザー

 料理フォーラムとならんで同じニフティサーブ内のフォーラムである釣フォーラム(FFISH)が震災直後から取り組んできた被災地でのさまざまなボランティア活動を通してお付き合いが生まれた東灘区森公園のテント村は、先の「おでんプロジェクト」の際にわれわれに物資の拠点を提供してくださることになりました。そこでのご縁から、テント村の世話役をされていたお風呂屋さんが営業再開することを祝ってバザーを行いました。

 全国の料理フォーラム有志からは、食器をはじめとするさまざまな家庭用品や食材、手作りクッキーやジャムなどがバザーに提供されました。

 

●1995年8月/京都府美山町子どもキャンプ応援 

 FFISH(釣フォーラム)が中心になって企画していた、被災地の子ども達約110名余を連れて京都府美山町への一泊二日のキャンプを応援。

 神戸から列車を乗り継いでの引率、美山町での四回の食事作りを美山町の協力も得ながらFCOOK有志が担当することになりました。

 お父さん役のFFISHメンバーは、鮎釣りや肝試し、花火大会などを担当、お母さん役のFCOOKメンバーは子ども達とスタッフの総勢140名以上の食事作りにひたすら汗を流した一泊二日でしたが、参加した子ども達からの感謝や感想の手紙は全てオンライン上で報告され、さまざまな形で応援してくれた両フォーラムのネットワーカーと体験を共有することができました。

 

●1996年3月/春を分けあう神戸オフ

 本庄中央仮設住宅がある地域の市営住宅集会所と仮設住宅内の敷地を会場にお借りして、春を感じて頂ける手作り料理を仮設の皆さんとご一緒に楽しもうという企画です。

 春の食材をふんだんに使ったちらし寿司や和えもの、煮物、お吸い物、お抹茶とお菓子、全国のFCOOK会員から送られたさまざまなお酒や手作りお菓子に飲み物、鉢植えの花、切り花も届けられ、華やいだ会場となりました。

 そして明石の春の味覚として欠かせないイカナゴの釘煮も大量に作り、仮設住宅の全戸にお届けしました。震災のせいで今年は釘煮作りができなかったという方々に大いに喜ばれ、釘煮作りには一家言あるベテラン主婦にはわれわれが教えてもらうことも多く、楽しく和やかな一日となりました。

 

 

●1996年7月/夏に負けない神戸オフ

 

 春に続いて、地域の市営住宅の集会所と近くの公園を会場に、手作りの夏祭りを企画しました。

 祭りの出し物の相談や会場設営の備品調達、当日メニューの相談等も全てこれまで同様オンラインで進められ、会員から送られた全国各地の商店街の団扇や提灯なども夏祭りの雰囲気を盛り上げてくれました。

 折しもO-157が猛威を奮っていた夏ですが、会員の中の看護婦や薬剤師を仕事とされいる方の協力も得て、手打ち蕎麦をはじめ、かき氷やどら焼き、そして今回も全国の会員有志から届けられたさまざまな焼き菓子など、手作りメニューの数々を、仮設の皆さんや近所の住民、子ども達にも楽しんで頂きました。

 

●1997年3月/三度目の春・神戸

 本庄中央仮設住宅の皆さんとの繋がりもようやく根付き、三度目の春は、FCOOK内で話題になっている料理や参加者の得意料理などをご披露して一緒に楽しんで頂く企画となりました。

 中華点心の数々、春の食材をふんだんに使ったかき揚げ丼、各地のメンバーで手分けして作ったさまざまな餡を使ってのおはぎ、そしてまた今回も春の味覚として欠かせないイカナゴの釘煮も作りました。

←揚げ立てアツアツのかき揚げ丼やあんから手作りしたさまざまなおはぎ、お抹茶や中国茶などで春の一日をゆっくり過ごしていただきました。

●1997年8月/ふるさと神戸・地蔵盆祭り

 本庄中央仮設住宅には、空き部屋を利用した住民達のコミニュケーションの場として「ふれあいセンター」が作られ、ここを会場に、付近の敷地で盆踊りやカラオケ大会、さまざまな手作り料理やお菓子の屋台風コーナーを作って、夏の一日を一緒に楽しく過ごしました。特に、今や入手困難となってしまった伝統的な手法で作られた「線香花火」が会員から提供され、その美しい火花は見る人をさまざまな思いに引き込んでくれるものでした。

 仮設住宅の皆さんはご年輩の方々が多く、パソコン通信が何であるのかご存じない方がほとんどです。それでも「料理ホーラムの皆さん」としてはしっかり認識して頂けるようになり、お互い顔見知りも増え、中には名前で呼び合うお付き合いも生まれてきました。

 

●1998年5月/春・心に満開神戸オフ

 同じく本庄中央仮設住宅の「ふれあいセンター」にて、目にも春を感じさせてくれる色とりどりの手毬寿司や棒寿司、手打ち蕎麦、そして「春・神戸」で恒例となったイカナゴの釘煮などが食卓を賑わせてくれました。

 オフの前日、この日を楽しみにしてくれていた仮設にお住まいの方が亡くなられるという悲しい出来事がありましたが、そのために中止にするのは、その方の遺志にも反することだろうと、笑顔の遺影を囲んで和気あいあいの一時を過ごしました。会議室にも多くのお悔やみの言葉が寄せられました。

 

 

 オフ当日の様子は、毎回、全国から応援、協力してくれたFCOOKerにも写真が送られているため、「神戸」の経験は多くのメンバーの共有するところとなっています。

 

●1998年8月/夏・変わらず来ました神戸オフ

 仮設住宅には、もう30世帯ほどの方しか残っておられません。

 間もなく撤去されることが決まっている仮設住宅ですが、仮設が撤去されても撤去されない問題は山積みです。われわれには、心を込めた手作り料理で楽しい一日をご一緒することしかできません。

 仮設住宅という、震災後の新しい「コミュニティ」で親しくなり、支え合ってきた方々を、公営住宅などに当選される度に見送って、時と共に寂しくなる仮設住宅に残された方々。人数が少なくなると、もう催しものもなくなるのではないか、忘れ置かれてしまうのではないかと、震災直後とはまた別の心細さを訴えておられます。

 だからこそ、「変わらず来ました」が今年のテーマとなりました。

 今年もまた楽しみに待っていてくださる方々がいて、この日にはかつて仮設にお住まいだった方の何人かも訪れての一日になることから、会議室では、どんな催しをしようかと相談が始まっています。

 これら年に二回のオフの他に、関西在住のFCOOKメンバー有志は折に触れて仮設住宅の皆さんとの交流を重ねてきています。

 

プロの料理人FCOOKerも参加

かねて会議室でも活躍中のプロの料理人も白衣に身を固めて参加してくれました。

さすが!の手際で、握り鮨に天麩羅にと大活躍。アマチュアのFCOOKerにとっては、その手際やアドバイスは大きな収穫でもありました。

子ども達の声が何より嬉しいご馳走でもありました

住む人もどんどん減って、普段はひっそりしている仮設住宅。

子連れの参加者も多かったため、あちこちで子ども達の歓声が賑やかに聞こえていた一日でした。仮設のお年寄りにとって、これはもう一つの「ご馳走」でもあったようでした。

花火の火に、行く夏を惜しんで

会員差し入れの花火は、毎年の「夏神戸」のフィナーレを飾ってくれます。特に、入手すら難しい日本の伝統的手法で作られた線香花火は、花火士の資格も持ってるFCOOKerからの貴重な差し入れ。今年は仮設の皆さんへのお土産になりました。

(この文書は、1997年8月24日付けでFCOOK16番会議室#6952にアップされた内容に加筆修正したものです。)

 

■上記文書およびFCOOKについてのお問い合わせ

  松尾康子(料理フォーラム代表)(SDI00101@nifty.ne.jp)

 


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